講演会でお話した内容を元に書かれた本。
なので、データや資料が少ない。
それを念頭に入れて読みすすめるといい。
著者は、子供の授業参観に行ってその様子に愕然とする。
過半数の子供が、居眠りをしたり、立ち歩いたり、
後ろを向いて私語をしたりしているからだ。
これをみた著者は、子供たちは「意思を持って」
学ぶことから逃げていると考える。
学ぶことに無関心、無気力であればぼんやり前を向いて
担任の顔を見ていてもいいわけだから。
昔の子供たちは家庭の中で労働をすることで家庭、
ひいては社会に参加し、その居場所を確保していった。
お手伝いをしてほめられ、
家族の一員として認められていったのだ。
だが、今の子供たちは最初に消費することで社会参加を体験する。
お小づかいをもらい、コンビニなりへ行ってモノを買う。
お金を持てば、大人と同じ扱いがされることを学ぶ。
学校で授業をきかない子供たちは、
教育を消費するものをして考えている。
「どうして勉強をしないといけないのですか?」と
教師に問う子供がいるが、それはつまり、
「授業中、おとなしく聞くという苦役を対価として
支払うだけの価値はあるのですか?」ということなのだ。
(しかし、私の中学時代の先生は、
「勉強するのはよい人間になるためです。」と
はっきり言い切りました。
なぜ勉強するのかという根源的な問いに、
大人も自分なりの哲学を語ってやってもいいのではないかと思う。)
消費者としての子供たちは、
勉強に意味がないと感じるとそれを放棄してしまう。
それは大人になった若い世代でも同じことである。
仕事をはじめ、「人よりつらい仕事をしているのに
対価が十分ではない」と感じると、それから逃走してしまう。
それが、ニートや正社員として働きたがらない
若い人の心象である、と著者は言う。
消費者である以上、支払ったものと同等の対価が、
時間のずれをなくして与えられるべきという考え方が、
今の若い人たちの勉強や労働からの逃避行動の根幹にある。
この考え方は斬新だと思う。
ただ、やや若い世代の現実とは乖離している部分もある。
若い人が労働に対してすぐに対価を求めるのは、
年功序列で給料が上がる保証がないことに対する
恐れのせいではないか。
ニートや非正社員の増加は社会構造の問題でもあるはずだ。
若い人個人の責任だけではないのだ、と
まだ若い世代でいるつもりの私は言いたい。
あわせて、山田昌弘氏の新平等社会、
城繁幸氏の若者はなぜ3年で辞めるのか? も
読まれることをおすすめする。
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