2008年03月13日

近代ヤクザ肯定論





山口組の成立から90年。
その変質を丁寧に追うことで、ヤクザの歴史、
果ては日本社会の変質にまで言及している。

初代山口組の組長となる山口春吉は、
故郷の淡路島で食いはぐれて、港町神戸にやってきた。
神戸にはたくさんの船が着く。技能を必要としない、
体ひとつで働くことのできる仕事があった。

まじめで義理堅い性格の春吉は、次第に仲間たちの信頼を得てゆく。
当時、日雇いで低賃金の労働者を束ねているのはヤクザであった。

労働者のリーダーになった春吉は、
自然にヤクザとも連携を持つことになり、ここに山口組が誕生した。
山口組の最初の姿は、下層労働者たちの寄せ集め集団だったのだ。

春吉は実直な労働者で、ヤクザの組の運営には向いていないと
自ら判断したようだ。
早々に長男の登に代を譲る。
彼が二代目組長である。
その登は、芸能などの分野に手を広げ、組を発展させる。

著者は言う。ヤクザは日本社会の中に組み入れられた、
社会に根づいた存在であった、と。

被差別部落の仕事の仲介をしたり、
長子相続のために田畑を持てない次男、三男たちに
生活のすべを与えるのがヤクザであった。
村で困ったことが起きるとヤクザに仲介を求め、
カネの無心に行くこともごく普通に見られる姿だった。

著者のご実家(ヤクザの組である)に
相談に来る人々が書かれているが、
敬遠されつつもその存在を認められていた当時の様子が想像できる。
社会からあぶれたものの受け皿、と言ったところか。

戦後の混乱期、日本には生存のために集団を作る人々の姿があった。
台湾人、朝鮮人の集団が、極貧を生き抜くために結束し、
暴動を起こすことがあった。

朝鮮人の集団と言っても、そこに日本人が混じっていることも
多く見られた。
思想哲学というより、生活のために結びついた集団で、
市内で銃撃戦を繰り広げることもあったそうだ。

その鎮圧に当たったのがヤクザである。警察署を占拠され、
ヤクザの力を借りて脱出する警官もいたのだそうだ。

本来公的機関が行うべき「負のサービス」を
ヤクザが担ってきたという事実がそこにはある。

しかし、経済発展を遂げる社会にはその不安定な存在は不要になる。
社会の格差がなくなり、中流化がすすむ社会には
ヤクザは存在することができない。

そんな中、山口組を大きく変貌させたのが三代目、田岡一雄である。
彼は、組員に「駄菓子屋でもいい」、仕事を与えようとした。

事業部を設立し、暴力組織と切り離した。芸能部を設立し、
もとのつてをたどって港湾関係の会社に食い込んだ。
土木の分野にも手を伸ばした。

田岡に関する記述は多く、
ここで少ししか紹介できないことが残念である。
非常に任侠心にあふれた人柄であったようだ。

彼がお嬢さんに、「お父さん、山口組って何?」と聞かれたときの
答えが彼の心情を語っている。

「人間てな、いや、男というもんは弱いもんや。
ひとりでおられへん。そやから、みんなで集まるんや」

警察による暴力団追放の動き、カリスマである田岡の死によって、
日本のヤクザはひとつ大きな転換期を迎えたようだ。

現在、格差社会の中でドロップアウトする人間は増えつつある。
だが、そこにかつてのような受け皿はない。

ヤクザを肯定するとは何事か、とお叱りを受けるかもしれない。

しかし、著者が書こうとしているのは差別をされ、
社会にうまく適合できなかった人間の歴史である。
常に矛盾をはらんでいる人間社会の記録である。

戦後の裏社会の動きとしても大変面白い。
情報、文章の量がとても多いので、読むのには時間がかかるが、
それを無駄だとは絶対に思わない。

読み応えあり。今週ご紹介した本の中で一番おすすめの一冊。





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posted by momo at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬派!社会派系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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