2008年03月24日

そうだったのか!中国




先週から、北京オリンピックに関するニュースを
耳にするようになりました。
開催直前なのに、明るいものばかりではありません。

地理的に、とても近しい国中国。
その姿を、私は案外と知らないのではないか。

そう考えたので、本屋さんで中国関連の本を探してきました。
この「そうだったのか!」シリーズは何度か取り上げています。
マンネリかとも思いましたが、
中国関連の中で一番扇情的・感情的でなく、
情報が多いという点ではこちらが一番だったように思います。

中国の現代史を、非常に詳しく解説しています。
内容が濃いので、今日と明日、
二日に分けてご紹介させていただきたいと思います。

本日は、共産党の成り立ちと話題のチベット問題について。

1941年、毛沢東は天安門の上に立ち、
中華人民共和国の成立を宣言した。
農民に土地を与えるというやり方で、
大多数の人民に支持されての船出である。

中国では共産党が一番の権力を持っている。
警察や司法も、共産党の「指導を受ける」という地位だ。

土地を農民に戻してその地位を得たのに、
権力を握った共産党は、再び農民から土地を取り上げる。
国家の持ち物ということになる。

自分のものでなくなった土地に、
農民のモチベーションは下がる一方だった。

さらに、稲を密集して植える
(見た目では豊富に実っているように見える)、
深く耕すとよいと教えられたため、
数メートル畑を掘るなどの荒唐無稽な農法で、
生産量は激減。国土を飢餓が襲う。

さらに、知識人を追放するための文化大革命が起きた。
資本家、地主などが労働者の敵として祭り上げられた。

この革命で、300万人が投獄され、
50万人が処刑されたというデータがあるが、
自殺者、武力闘争などでの犠牲者はもっといるはずだ。

また、現在ニュースが取り上げ始めた
チベットについても述べらている。

中国にとって、チベットは「僧侶が支配している封建社会」。
それを解放するという大義名分の下、中国は侵攻を開始する。

1951年、チベットを地方政府として認める
「チベット平和解放に関する協定」を結ぶ。

チベット人の望まない改革は行わないという内容のものであったが、
実際には、首都ラサに2万人の兵士が配置された。
これは当時のラサの人口の約半分にあたるというから
かなり大規模である。

チベット族の反乱が相次ぎ、共産党はこれを弾圧。
処刑の際に「ダライ・ラマ万歳」を叫ぶ人の
舌を引き抜くこともしたそうです。

チベットが被害を受けたのは弾圧だけではない。
中国本土を飢餓に陥れた共産党的手法の農業が導入され、
気候に合わない農作物の栽培が強制された。

環境汚染、伝統的農業の破壊。
これらも十分にチベット人を窮地に追いやっているのである。

北京からラサへの直通鉄道ができて以来、
漢族が大量にチベットにやってきている。

漢族の勢力が大きくなるチベットから、
インドへ亡命する人たちが増えているが、
中国の国境警備隊が彼らに発砲する事件もあった。

マスコミでは暴動と言っているが、
果たしてそれは正確な言葉なのだろうか。

明日は天安門と反日政策について、
こちらの本の内容をまとめてみようと考えています。





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posted by momo at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬派!社会派系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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